当時の「鉄道ファン」誌連載記事「電車を訪ねて」に影響され訪問しました。夜行の電車急行「佐渡4号」で行ったのを覚えています。上越国境は夜目にも雪が多く残っているのがわかりました。五泉から村松を経て加茂に抜け、信越本線青海川で撮影後直江津から急行「妙高3号」で帰ったと思います。直接制御車の3重連列車が強烈な印象となっています。その後は7年後に再訪していますが、その後間も無く村松、加茂間が廃止されたように記憶しています。
1975年4月9日、1982年8月撮影
2002年4月13日製作

朝もやの中を加茂からの列車が村松に到着するところです。電車はモハ31形。車両の1両1両が全て違う外観を持った模型のような鉄道でした。西村松、村松間

昭和50年4月9日

見て驚いた直接制御電動車ばかりの3両編成です。総括制御が出来ないはずなので3両全てに運転士が乗っていると思われます。モハ11、12、51の3両でこれが直接制御車の全てです。加茂行き列車が村松を発車したところ。西村松、村松間

昭和50年4月9日

村松から五泉に向かう3両編成でこちらは総括制御車です。この区間の旅客が多く、村松、加茂間は閑散としていました。記憶が定かではありませんが、列車は村松で二分されており直通客は乗り換えていたように思います。モハ81、クハ10、モハ71の3両。村松、今泉間

昭和50年4月9日撮影

単行で村松に戻ってきたモハ51号で、これの折り返しに乗って加茂へ抜けました。残りの2両は夕方のラッシュ時まで加茂に留置されるのだと思います。村松駅

昭和50年4月9日撮影

モハ51の運転台を車内から見たところです。大きな直接制御コントローラーと仕切りパイプに挟まれた運転席は奥行きが極端に短く、運転士が窮屈そうに仕事をしていました。

昭和50年4月9日撮影

除雪用具を付けたED1形が入換え作業を行っています。国鉄貨車ですので貨物列車も当時は運転されていたようです。村松駅

昭和50年4月9日撮影

7年後北陸方面ドライブ旅行で立ち寄りました。直接制御トリオが引退し、別の中古車が入線するなど車両陣容は少し変化していましたが佇まいは変わっていませんでした。村松の木造車庫に収まるモハ81形です。

昭和57年8月撮影

スキー場のある冬鳥越にはちょっとした峠越えがありました。その峠を越えたモハ71形です。ワンマン運転になったのもこの7年間の変化のひとつです。七谷、冬鳥越間

昭和57年8月撮影