前日の日曜は大学鉄研仲間の結婚式が名古屋駅前のホテルで執り行われ、招待を受けて名古屋へ行きました。翌日の月曜は有休をとり、一緒に出席した別の鉄研仲間と明知線を訪問する予定でした。朝、名古屋駅に行きホームに上がると、関西線ホームの方に見慣れね角度で車両が止まっているのが見えました。よく見ると DD51が14系寝台車に突っ込んで食い込み、脱線しているただならぬ状況であることが判りました。前夜泊まった西口駅前のホテルでは全く音など気付きませんでしたし、ニュースも見ずに出てきたので全くびっくりしました。様子を見て予定通り明知線を訪問し夕方戻ると復旧作業の真最中でした。

1982年3月15日名古屋駅で撮影

最初に飛び込んできた光景。原因は機関士の運転ミスで、点呼前に飲酒していたそうな。国鉄末期を象徴する事故であろう。
重い機関車が軽い客車に潜り込んでいる。客車の床下にあった発電用エンジンが脱落している。見たときは死人が出たと思ったが実際は軽傷者数人だったと思う。乗客が少ししかいなかったと言うことか。
1両目と2両目の連結部分。衝撃の大きさを感じるが軽量構造客車の脆弱さも伺える。この列車は下りの「紀伊」で、深夜名古屋駅で電気機関車からディーゼル機関車に付け替える際の事故だった。
全体の状況。3両目の客車まで脱線している。救急車などで騒がしかったはずだが、駅前のホテルに居ながら全く気付かなかったのが不思議だ。
すでに操重車や救援車で編成された救援列車が到着していたが朝のこの時点ではまだ復旧作業に手が付けられていなかった。
ソ80形操重車と控え車による回送形態。普段はどこにおいてあるのだろうか。この写真は現場の全体的な状況が判るが、事故という状況にもかかわらず周囲が妙に静かだったのが印象に残った。
このような時でないと出てこない救援車。この後太多線明知線を訪問した帰りの中央線下り列車は復旧作業の影響でかなり遅れて名古屋に到着した。
夕方名古屋に戻ると復旧作業の最中だった。架線を外したり大掛かりな作業となっていた。操重車の活躍するところを見たのは後にも先にもこの時だけで、自力で前後に動くのを見て不思議な感銘を覚えた。