近鉄のナローゲージは豊田在住の中学生時代に関西線SL撮影の合間に内部線に乗ったのが最初の接触です。その時はSLを写すフィルムがもったいなくて写真を撮っていませんが、終点で電車を機関車の機回しのように編成の先頭に付け替えていたのが強烈な印象として残りました。その後もついでの訪問に終始し、写真が少ないのが残念です。最近では三岐鉄道になってから北勢線に乗りに行き写真も撮りましたが、ここでは旧型車で運転されていた時代の写真をご覧いただきたいと思います。
1970年7月27日、1971年8月16日、1979年1月15日撮影
2005年5月14日製作

内部線と八王子線が分岐する日永を出て赤堀へ向かう電車です。モニ220形二段窓で近代的なスタイルです。日永、赤堀間

昭和45年7月27日撮影

モニ210形はクラシックなスタイル。関西各民鉄では当時開催中の大阪万博のステッカーを貼っていましたが、三重県東端の当地ではやや場違いな印象でした。日永、赤堀間

昭和45年7月27日撮影

付随車には制御車が無く、終点ではピンリンク式カプラーでの機回し作業が見られました。日永、赤堀間

昭和45年7月27日撮影

当時は名古屋線も四日市駅は地平でした。名古屋線ホームからナローの機関車と右は湯の山線の特急です。近鉄四日市駅

昭和45年7月27日撮影

こちらは北勢線です。近鉄名古屋線と国鉄関西本線をオーバークロスして西桑名駅に向かう電車はモニ220形です。西桑名、馬道間

昭和46年8月16日撮影

同じ場所をオーバークロスに向かう電車ですが、北勢線は内部八王子線と異なり小型の自動連結器を装備していました。西桑名、馬道間

昭和46年8月16日撮影

8年後、北勢線にも新型車が入り旧型車が最後の活躍をしていました。ヘッドライトが改造されスタイルが崩れてしまいました。北大社付近

昭和49年1月15日撮影

良く見ると付随車にも運転台が付いて制御車となっているようです。北大社付近

昭和49年1月15日撮影