大学は自宅から通学したことも影響したのか、社会人になったら自立の第一歩として自宅を出ることを決めていました。就職した職場の関係で選んだ地は北区赤羽、従来関わりの薄かった東北線の沿線です。暇な時に散歩を兼ねて多少の写真を撮りました。近いと気合いが入らないのともっと写さなかったことを後悔するのは毎度のことです。
1977年3月10日、25日、12月、1978年2月撮影
2009年4月19日製作

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飛鳥山公園と線路の間にあった路地から撮影した下り貨物列車。EF15176の牽引です。王子

昭和52年3月10日撮影

次は上り貨物がやって来ました。同じEF15ですが番号が読めません。ステップの白色塗装から東京機関区所属機と判ります。王子

昭和52年3月10日撮影

赤羽駅の南側に人道踏切があり、その遮断機脇から写した下り特急「とき」です。踏切道は赤羽線と東北本線を渡り京浜東北線は地下道になっていました。赤羽付近

昭和52年3月25日撮影

同じ場所の反対側から撮影した上り客車列車ですが、列車名等は不明です。牽引機はEF58121号機。赤羽付近

昭和52年3月25日撮影

上の写真の数秒後の様子。下り急行電車と上り単機EF15116が被りました。まさに間一髪。赤羽付近

昭和52年3月25日撮影

初めての冬のボーナスで発売されたばかりのニコンFMを購入、初めて入れたフィルムで撮った写真です。列車は下り普通列車でEF58108号機の牽引。冬の陽が傾いて飛鳥山の樹木の影が掛かってしまいました。王子

昭和52年12月上旬撮影

陽が当たらなくなってEF65PFの上り高速コンテナ列車がやって来ました。王子

昭和52年12月上旬撮影

上り特急「とき」を写して試し撮りを終えました。王子

昭和52年12月上旬撮影

定期列車に回送のマヤが連結されていました。奥の築堤は京浜東北線ですが、新幹線も出来てこの辺りの風景は一変しています。赤羽駅北方

昭和53年2月撮影