今は大牟田線と同じような大型車が編成で走っているようですが、私が訪問した昭和51年頃は日中は単行で運行される長閑な路線でした。走りを撮影した古賀付近は松の群生が線路に迫り、直接海は見えませんが玄界灘の影響が感じられる印象的な風景でした。このあと訪問の機会を得ていませんが、かなりの変貌を遂げているのだろうと思います。
全て1976年3月11日撮影
2005年1月16日製作

オリジナルの鋼製車モ1形の5号がやって来ました。元は3扉貫通路付きでしたが貫通路と中扉は埋められています。西鉄古賀、西鉄福間間
戦後西鉄で木造車を鋼体化改造したモ16号の津屋崎行き。運転士と車掌しか乗っていないのが寂しいですね。西鉄古賀、西鉄福間間
オリジナルの木造客車を電車化したモ1号。鉄板を貼ってありますが中は木でトラス棒がその証しです。当時は全国で木造車が数両健在で最後の活躍をしていましたが、当車もその1両です。西鉄古賀、西鉄福間間
モ2号は鋼体化改造された車体を載せていましたが元は1号と同形の木造車でした。西鉄古賀、西鉄福間間
この時は撮影しながら古賀から福間まで歩きましたが福間付近の鉄橋で先ほどの1号が戻って来たのを捉えました。西鉄古賀、西鉄福間間
交換駅の西鉄福間に到着するモ13号の津屋崎行きです。駅付近は新しい住宅が目立って来たようです。西鉄福間駅
上の電車が津屋崎で折り返して貝塚行きとして戻って来たところです。西鉄福間駅
終点の津屋崎は2線行き止まりの配線でした。1枚目の5号と違いこの6号は貫通路の埋め跡が見えません。この時代の1段窓電車は私が最も好ましく感じるスタイルです。津屋崎駅