都心に近いローカルミニ私鉄の総武流山電鉄。20年くらい前に西武電車の中古車が入り従来の電車を駆逐してしまいました。それ以前の様子をご覧いただきたいと思います。私は同じ千葉県在住ですが、総武本線沿線なので高校時代は常磐線松戸方面がすごく遠く感じられました。最初の訪問は朝早く出て成田から我孫子を経由し、天王台付近でキハ81「ひたち」など撮影後当線を訪問し上野駅でEF57を撮影しています。2回目は社会人になっていましたが車両が変わると聞いて休日に訪問したものです。今は沿線には住宅が建ち風景は一変していると思います。恥ずかしながらどんな電車が走っているのかも知りません。
1972年9月22日、1978年10月撮影
2002年8月24日製作

終点の流山駅全景です。手前に向かって本線が伸びており、奥が行き止まりになっています。電車が止まっているところの建物が駅本屋で貨物ホームには廃車体利用の倉庫があります。奥が車庫になっています。

昭和47年9月22日撮影

流山駅ホームから見た車庫の様子です。蒸気機関車時代の給水タンクも残っていました。台地に突っ込むような狭い場所に作られています。

昭和47年9月22日撮影

外から車庫の一番奥を覗くといわゆる「森ブタ」DB1号ディーゼル機関車が放置されているのが見えました。

昭和47年9月22日撮影

流山駅を発車して馬橋へ向かう電車です。モハ1001号は元西武(武蔵野)鉄道の制御車だったものを電動車化した車両です。他の車両も同じですが塗色はオレンジ色に白い帯となっています。残念ながらカラー写真は写していません。流山付近

昭和47年9月22日撮影

2回目の訪問は主に走行場面を狙って撮影しました。雑誌等に発表されている写真を見て比較的住宅の少なそうな鰭ケ崎付近を歩いてみました。上と同じモハ1001号の6年後の姿ですが全く変わっていませんでした。鰭ケ崎付近

昭和53年10月撮影

モハ1002号ですが手許の資料「世界の鉄道75(朝日新聞社)」には載っていませんのでその後の入線です。素性は知りませんが昭和初期川崎製車体の典型的形状を持っています。ヘッドライトは当時国鉄をはじめ全国で流行した元ケース利用のシールドビーム2灯化改造(いわゆるブタ鼻)がなされているのが残念です。鰭ケ崎付近

昭和53年10月撮影

元西武(武蔵野)鉄道のクハ52です。モハ1001とペアで走っていたようです。この編成はヘッドライト改造を受けていません。鰭ケ崎付近

昭和53年10月撮影

当時の鰭ケ崎駅の様子です。立ち食いそば屋があるあたりが通勤路線であることを主張しているようです。この後間もなく流星号とやらの新車(当線にとっての)が入線したと思います。

昭和53年10月撮影