愛知県豊田市に住んでいた中学生時代、夏休みの一日鉄道好きの仲間たちと中在家信号場を訪問しました。信号場宛に手紙を書いて訪問意図を伝えると、定期列車の車掌に言えば信号場で下車出来る事、その際切符は次駅柘植まで購入する事などの返事をいただいた事を覚えています。車掌に告げると先頭のキハユニ(形式失念、湘南顔)の運転台から下車させてもらえました。自宅を出るときは晴れていましたが、鈴鹿山中は暗く曇り、小雨まで降る状況で良い写真が残せなかったのが残念です。中学生当時の撮影技術の限界を露呈した結果となりましたが、この時の印象は40年近く経った現在も鮮明です。稚拙な写真ですが盛大な煙に免じてご容赦下さい。
1969年8月11日撮影
2007年7月29日製作

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まずは有名なお立ち台へ。出発線から後補機付きの貨物列車が加太トンネルに向けて出発して行きました。
晴れの舞台に小遣いをはたいて準備したカラーフィルムを装填したマミヤシックスで同じ列車を撮影。後補機が判らないのが残念。
一往復設定された客車列車(荷物専用)が来る頃が最も暗かったようです。
せっかくの補機付き列車も甘い計算の結果として補機は山かげになってしまいました。
同じ列車ですがこちらの補機は画面の外です。
坂を下る荷物列車が信号場を軽快に通過して行きました。画面の人物は3人の同行者と列車を見送る助役氏です。当時の田舎中学生は休日の外出でも制服着用でした。
この写真は補機が写っていますが、残念ながら下り坂の絶気運転。
この写真も補機が写っていません。この信号場は現存していますが、構内配線は簡略化され通過する列車も短編成の気動車ばかりとなったようです。帰りも気動車の乗務員扉から乗車させていただきました。