電動車が早くから日車標準型に統一され旧型車は付随車だけだった新潟交通は訪問の優先順位が低く昭和55年にようやく訪れました。この直後にワンマン化や単行化が行われたのでギリギリ間に合ったと言えます。土手の下を延々と走り撮影適地に乏しい印象を受け、結局近年の廃線間際まで再訪問の機会がありませんでした。
1980年11月15日、1982年7月中旬撮影
2003年7月6日製作

この時は後に廃止された両端部がまだ営業中でした。夜行の佐渡を降りて駅前からバスに乗りここ県庁前にやって来ました。写真のように道路がロータリー状になった中央に新潟交通の始発駅が位置していました。

昭和55年11月15日撮影

上の列車が燕に向けて県庁前駅を発車するところです。車掌が運転室から乗り出して監視しています。右の木立があるところが白山神社で以前はこの駅も白山下と称しました。

昭和55年11月15日撮影

町中の併用軌道を静々と走る電車の様子です。県庁前に到着するところですが、この先は狭い道の下町風の風景に変わったように記憶しています。この時見た列車は全てこの形態の新旧MT2両編成でした。

昭和55年11月15日撮影

沿線の中心駅白根駅ホームの情景です。土曜の昼で下校の学生で賑わっていました。

昭和55年11月15日撮影

終点の燕駅構内に名物のモワ51が止まっていました。貨車を連結しているのでこの頃は貨物列車も走ったようです。

昭和55年11月15日撮影

燕駅構内留置線の様子です。生憎と雨が降り出してしまいました。

昭和55年11月15日撮影

燕駅付近で撮影した列車です。このような開けた場所で撮影できるのはこの付近など限られていました。

昭和55年11月15日撮影

2年後の夏、北陸方面ドライブ旅行の通り掛かりに撮影した列車です。ワンマン化単行化の後ですが路線はまだ燕まで行っていました。上の写真の場所とそれほど離れていないと思います。背後には開通間近の上越新幹線の高架があります。

昭和57年7月中旬撮影