昭和50年夏の鉄研合宿は青森県で行われました。弘前での合宿二日目、有志で大鰐線を訪ねました。奥羽本線との二兎を追って新石川の並走区間で撮影しました。その2年後昭和52年、社会人1年生の夏休み、合宿時印象の強かった青森県を旅行し大鰐線も訪問しました。この3年間はほとんど変化はなかったようです。2回の訪問とも直前に同地方を台風が襲い、あちこちにそのツメ跡が残っていたことが印象的です。当時、黒石へ伸びる弘南線は17メートル級国電と元東急車に統一されつつあった一方、当大鰐線は雑多な旧型車の寄り合い所帯といった感が強く、はるかに興味深いものがありました。
昭和50年8月27日、昭和52年8月下旬、撮影
平成13年8月25日製作

モハ100形で、当線開業時からの生え抜きです。元秩父鉄道の木造車で外板は鋼板が張ってありますが、トラス棒付きの台枠に木造車の面影が見えます。この時の訪問で一番期待していた車両でした。

新石川、津軽大沢間

昭和50年8月27日撮影

モハ108号で京浜急行デハ400形の車体に旧型車の足回りを組み合わせたもので、当時当線で最も近代的な外観を持っていました。

新石川、津軽大沢間

昭和50年8月27日撮影

大正15年ボールドウィン・ウェスティングハウス製造の輸入機関車ED22形です。最初の信濃鉄道から国鉄、西武、近江、一畑を経て当時大鰐駅構内に留置されていました。後ろのラッセル車とともに除雪用に使用されていたようです。

大鰐駅構内

昭和50年8月27日撮影

色付いた稲穂、雲を戴いた岩木山、晩夏の津軽平野を走る中央弘前行き列車の後ろ姿です。元伊那電クハニ1271形と元富士身延モハ2250形の2両です。片や塗立て、片や色褪せた塗装の差が目立ちます。

松木平、津軽大沢間

昭和52年8月下旬

車庫のある津軽大沢に進入する列車です。元西武モハ2231形とクハ1266形の組み合わせ。

津軽大沢駅

昭和52年8月下旬

一つ上のカラー写真の編成が津軽大沢に到着するところです。この後ここで折り返した列車を撮影したのが上のカラー写真です。車庫のある津軽大沢で折り返す区間列車が多く設定されていました。

松木平、津軽大沢間

昭和52年8月下旬

国鉄奥羽本線との交差は当線が上を乗り越す立体交差になっていました。当線は意外にも戦後の開業で高架橋もコンクリートの近代的なものです。元富士身延のモハ2250形ですが、1両だけあった、3扉改造を受けていない原形車です。

新石川、津軽大沢間

昭和52年8月下旬

前回の訪問(最初の3枚)の時にED22とラッセル車が止まっていた場所には元西武のモハ2231形が止まっていました。部分的に補修された塗装がパッチワークのようです。

大鰐駅構内

昭和52年8月下旬