高校2年の修学旅行での自由行動時に嵐山から御室まで仁和寺訪問のため利用したのが最初の訪問となりました。この時は趣味活動は出来なかったのでスナップ写真の撮影だけでした。2回目は高校卒業時の関西旅行での訪問です。いずれもポール時代の記録を残す事が出来ました。パンタ化や新型車の導入以降は足が遠のいています。当線は路面電車か否か悩むところですが、車両が低床ということで当サイトでは路面電車に分類します。
1971年11月4日、1973年3月中旬撮影
2006年1月8日製作

修学旅行団体行動解散の嵐山から御室へ向かう際、嵐山駅改札からの情景です。和服の女性が京都らしいですが、当時は今より和服姿が普通に見られました。嵐山駅

昭和46年11月4日撮影

電車前部からの情景です。北野線乗り換えの帷子ノ辻駅と思います。御室へは左の電車に乗り換えたのでしょうが覚えていません。

昭和46年11月4日撮影

2回目は単独行動で鉄活動です。嵐山駅を発車して四条大宮へ向かう電車です。背後の陸橋は一番上の写真にも写っています。嵐山、嵯峨駅前間

昭和48年3月中旬撮影

同じ場所で嵐山に到着する電車です。背景に見られるように藁葺きの家屋も見られました。嵐山、嵯峨駅前間

昭和48年3月中旬撮影

この後間もなく改築されて今は見られない嵐山の旧駅舎が写っています。乗務員の詰襟の制服や蛍光灯ではないのに細長い室内灯の電灯などが当線独特のものとして印象に残っています。電車はモボ301形以外皆同じに見えました。嵐山、嵯峨駅前間

昭和48年3月中旬撮影

帷子ノ辻、太秦間で路面区間に入る四条大宮行きモボ121形です。付随車牽引用の強力車ですが単行でした。帷子ノ辻、太秦間

昭和48年3月中旬撮影

上の場所で振り返り、名刹広隆寺を入れてポールを強調したアングルで後打ちして見ました。帷子ノ辻、太秦間

昭和48年3月中旬撮影

場所が不詳ですが併用軌道区間で信号待ちのモボ121形です。

昭和48年3月中旬撮影