鉄道100年で大いに盛り上がった昭和47年の秋、地元の千葉県でもC571号機による臨時列車が「なつかしのSL列車」として千葉、銚子間(下り総武本線、上り成田線経由)に運転されました。当時私は高校3年生で運転当日の土曜日曜は土曜日は今と違って午前中授業があり、なんと運の悪いことに日曜日は体育祭と重なってしまいました。体育祭をサボることなど当時は思いもよらず、2往復のうち土曜午後の上りと、両日朝の回送列車のみ撮影して涙を飲んだ思い出があります。
1972年9月28日、30日、10月1日撮影
2001年7月1日製作

高校通学の下車駅佐倉の機関区にC571号機がいるのを運転日一週間前位に通学の折確認しました。28日の木曜日、カメラを持って登校し、放課後機関区を訪問しました。学校帰りに制服で機関区を訪れたのは後にも先にもこの時だけです。後ろの救援車や隣のハチロクも気になりますね。

昭和47年9月28日撮影

本機はこの直前まで新津に配置され、羽越線でお召し列車を牽引したのも記憶に新しく状態は良かったようです。そしてこの後は新津へは戻らず、新設の梅小路蒸気機関車館に入りました。さらに数年後山口線での復活などは当時想像もしませんでした。まだSLが各地で現役だった時代です。

昭和47年9月28日撮影

当時の佐倉機関区はDE10とDD51の基地になっていました。後ろに見える建屋は廃区となった今も残っています。このハチロクは廃車後長く佐倉駅西端の旧本線跡に放置されていましたが、佐倉駅近くの公園での保存が決まり、整備をしているところです。金網と屋根に守られて現在でも外観上は美しく保たれています。

昭和47年9月28日撮影

新津で施された寒冷地装備が少し目障りに感じました。4枚のナンバープレートは盗難対策でペンキ書き金属板のイミテーションが付けられていたのが残念です。隣のハチロクも同じでした。事務所で回送列車のダイヤを尋ねたところ、初めて見る「局報」を頂戴して感激した思い出があります。

昭和47年9月28日撮影

授業のある土曜日の朝、登校前に撮影した佐倉から千葉までの回送列車です。朝霧で視界が悪く余り良い写真が写せませんでした。でも、イベント列車ではない日常の列車のように見えるところが気に入っています。ヘッドライトが少し上を向いているようで気になりました。

物井、四街道間

昭和47年9月30日撮影

上の列車の後打ちです。客車は当時佐倉客貨車区に現役旧型車が沢山ありました。43系や61系もありましたが35系を選んで編成してあり、細かい気配りに感心しました。

物井、四街道間

昭和47年9月30日撮影

授業を終えるとすぐ帰宅し、自転車で撮影に行きました。土曜の上り本番列車です。テールマークは付けられていましたが、機関車にマークを付けなかったのも客車の選択とともに卓見だと思います。場所の選定を誤り煙が出ませんでした。この辺り、今では最後のDD51貨物や国鉄色183系などの撮影でカメラマンで賑わっているところです。

佐倉、物井間

昭和47年9月30日撮影

日曜日朝の回送列車です。転車台は銚子と千葉気動車区にしか無いので、この日の回送は逆向きでした。やはり霧が出ていて前日より更に条件が悪かったのが残念です。このあと後ろ髪を引かれる思いで登校し体育祭に参加しましたが、時計を見ながら「今ごろ近くを通るな。大勢写しに来てるだろうな。」と気もそぞろでした。

四街道駅

昭和47年10月1日撮影