この専用線は現地で全く偶然に見掛けて驚いたことを覚えています。当時はこの方面には余り興味が無く、情報にも無関心でした。当時から知っている人は知っている存在だったようです。80年夏、同期入社の友人と下北半島にドライブ旅行に行き、尻屋崎を目指していると踏切警報機とナローの線路が唐突に現れました。道路と並行するうちに鉱車を連ねた列車も現れ現役であることも判りました。連れは全く興味がないので、ここは再興を期して灯台見物に向かいました。帰宅後資料を漁って事業所名などを知った次第です。 |
1981年5月、91年10月7日頃撮影
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2007年3月17日製作
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