高校を卒業したその日の「銀河」で憧れの関西鉄道巡りに出発しました。最初に行ったのがこの田村付近。DD50最後の活躍を見るのが目的でした。ここに掲載した写真の車両は全て見られなくなってしまったばかりか、交直接続点の位置すら変わってしまいました。天候が悪く、雨こそ降りませんでしたが光量不足で眠たい写真しか撮れなかったのが残念です。この後、ED14を見るため彦根へ向かいました。
1973年3月9日撮影
2001年9月15日製作

米原で銀河を降りると早速DD50と対面が叶いました。入換えで構内を移動中です。後ろのヘッドマーク付き急行電車も懐かしいですね。

米原駅

昭和48年3月9日撮影

DD50の連結部です。貫通路で行き来が出来たことが判ります。1次形、2次形各3両ありましたが両者を1両ずつ連結して使用していました。向きは一定していなかったようです。2両ユニット構造ではないので中間も普通の自動連結器が装備されているのが判ります。

米原駅

昭和48年3月9日撮影

EF70から貨車を引き継ぎ米原に向けて出発する2次形4号機先頭の上り貨物列車です。懐かしい黒貨車編成です。

田村駅

昭和48年3月9日撮影

田村駅北方のDL待機線で折り返しを待ちます。中央は1次形3号機、後方は2次形が先頭です。進出してきたDE10も見えます。

田村駅

昭和48年3月9日撮影

上りの「日本海」がやって来ました。まだEF81は登場していませんでした。客車はもちろん20系で最後尾は切妻のナハネフ21形でした。

田村付近

昭和48年3月9日撮影

一個ライトの1次形EF70が牽く上りコンテナ列車です。EF70はこの1次形の面構えが好ましく思います。

田村付近

昭和48年3月9日撮影

木ノ本までのローカルには気動車が使われており、キハ20形の3両編成が行き来していました。田んぼの畦道が線路を潜る場所があり、背を屈めないと通れませんでしたが脇で立つとこの高さで写真が撮れる場所がありました。

田村付近

昭和48年3月9日撮影

その他の普通列車はほとんどが客車でした。ED70形の牽く上り列車です。ED70はこの年の間に全廃されてしまったので、私がED70を写した唯一の写真となりました。

田村付近

昭和48年3月9日撮影