筑波鉄道(昭和54年3月までは関東鉄道筑波線)昭和61年には廃止されてしまいましたが、私の住居から比較的近かったにもかかわらず余り訪問の機会を持てませんでした。廃止近くは撮影者が多くなり足が遠のいてしまいました。「近い」と言うことは一つの障害となってしまうようです。
1976年7月4日、1977年2月9日、1977年2月12日、1985年1月、1986年1月撮影
2003年5月4日製作

当線のエースとして登場以来廃止までその座を占めていたキハ500形503号です。塗装変更時期の撮影で、細い線が3本入った旧塗装の姿です。常陸藤沢、坂田間

昭和51年7月4日撮影

北陸鉄道を経由して入線した旧国鉄キハ04形のキハ462号です。廃線を待たず廃車となりましたが、この時代にもっと訪問すれば良かったと後悔しています。常陸藤沢、坂田間

昭和51年7月4日撮影

筑波山をバックに走るのは雄別鉄道から来たキハ811号です。70年代は廃止された北海道の炭鉱鉄道から多くの気動車が関東鉄道や茨城交通に譲渡され独特の北海道仕様の車両が関東で見られました。筑波、常陸北条間

昭和52年2月9日撮影

同じく雄別鉄道から来たキハ762号で国鉄キハ21と同タイプの車両です。この日は雪の降りそうな寒い日でした。筑波、常陸北条間

昭和52年2月9日撮影

キハ500形単行のサイドビューです。日車標準型気動車ですが、他の同型車より長さが2メートルほど短いのがよく判ります。短い車両は単行運転が似合います。筑波、常陸北条間

昭和52年2月9日撮影

北陸鉄道から来たキハ541号です。昭和32年製の近代的な車体と古風な荷台が妙にバランスしています。走っている姿を撮れなかったのが残念です。真鍋車庫

昭和52年2月12日撮影

この後の2枚は関東鉄道分離後の筑波鉄道時代の撮影です。キハ504号は常総線所属でしたがこの頃は筑波線に移動していました。空気バネ台車がゴージャスです。冬晴れの下、筑波山をバックに快走する土浦行きの様子です。筑波、常陸北条間

昭和60年1月上旬撮影

最後の頃は道産子も筑波線にすっかり馴染んでいました。常陸小田駅に進入する土浦行き列車です。

昭和61年1月撮影