現在の千葉県に居住するようになって1年後、県内で当時からその濃いローカル色で話題だった銚子電鉄を訪ねました。当時は都電のようなビューゲル集電で車体は京成の旧塗装(青電)のような塗装色でした。当時すぐにも廃止されそうな状況でしたが、現在に至るも盛業中なのは喜ばしい限りです。その後2回の訪問時の写真を加えて再構成しました。86年のカラーは鉄研OB会の旅行で「澪つくし号」を貸し切った時の撮影ですが、生憎の雨天と単焦点コンパクトカメラ使用のため取り敢えず、といったところでご覧ください。
1972年3月28日、1973年5月6日。1986年5月3日撮影
2011年9月4日製作

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乗り場の位置は今と同じ。右手の国鉄銚子支区には客車列車のスユニ61や牽引機DE10が見えます。銚子駅

昭和47年3月28日撮影

上の写真の反対側からの眺め。ここまでは左に見えるキハ17系の列車に乗って来ました。銚子駅

昭和47年3月28日撮影

デハ201の面構え。元京成のトラス棒付きの古豪です。これに乗って外川に向かいました。銚子駅

昭和47年3月28日撮影

デハ201のかぶり付きから対向のデハ101を見たところ。笠上黒生駅

昭和47年3月28日撮影

外川到着後、折り返し銚子に向かうデハ201を見送ります。外川駅

昭和47年3月28日撮影

入れ替わりに往路笠上黒生で交換したデハ101がやって来ました。犬吠、外川間

昭和47年3月28日撮影

踏切から眺めた外川駅の構内です。今も変わらない佇まいです。外川駅

昭和47年3月28日撮影

デハ101は少し傾いているようです。外川駅

昭和47年3月28日撮影

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