国鉄の連絡船航路で私が接したのは青函、宇高、関門の三つです。もっとも関門航路は小倉在住の小学生時代、いよいよ廃止になると聞いて父が連れて行ってくれたもので写真は撮っていません。青函は4往復、宇高は1往復の乗船経験です。青函はJR発足後にも片道乗っています。宇高航路は短時間で余り楽しみもありませんが、青函航路は4時間弱と退屈しない適度な所要時間で、船旅の楽しさを味わう事が出来たのが忘れられません。さて、鉄道連絡船ははたして鉄道趣味の範疇なのでしょうか。私はYesと思います。なぜなら船内に線路が敷いてあるから。宮島航路の船や国鉄バスに余り興味が湧かないのも同じ理由なのだと思います。なお、当ページの写真配列は他と異なり時系列になっていませんのでご注意下さい。 |
1975年8月、1976年8月、1979年2月、1983年2月、1986年8月、1987年3月撮影
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2006年7月22日製作
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本州在住者にとっては、まず青森です。朝8時頃の出港に備えて停泊中の十和田丸を駅東側の岸壁から眺めた後、乗船しました。青森駅
昭和62年3月22日撮影 |
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駅に戻る途中、構内を覗くと貨車積載作業の真っ最中で、それなりに活気がありました。青森駅
昭和62年3月22日撮影 |
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いよいよ出港です。突端の貨物専用桟橋に停泊中の貨物専用連絡船(船名不明)をデッキから写しました。青森港内
昭和62年3月22日撮影 |
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この10日後には取り外される運命のJNRのファンネルマーク。この時は国鉄を使った最後の旅行を2泊3日で行ったのでした。陸奥湾航行中の十和田丸
昭和62年3月22日撮影 |
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下りの連絡船から見たすれ違う上り便。青森を出て間もなくで右に見えるのは夏泊半島です。
昭和54年2月10日撮影 |
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函館港内で錨泊中の貨物専用船。陰になっている船は初代ディーゼル船の旧檜山丸と思います。資料によると当時まだ籍がありました。函館港内
昭和50年8月30日撮影 |
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同じく函館港内の十和田丸。下り便が函館湾内に入ると多くの連絡船が見られるのも楽しみでした。函館港内
昭和54年2月10日撮影 |
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更に進み十和田丸の真横の姿を写しました。このクラスの連絡船はデザインが秀逸だと思います。函館港内
昭和54年2月10日撮影 |
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