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着岸を助ける補助汽船が寄り添って来ますが、一般乗客は下船の準備に忙しく、気付く人は少ないようです。バックの函館ドックの門型クレーンを見ると北海道に来た実感が湧きます。函館港
昭和54年2月10日撮影 |
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最初に乗った津軽丸。この時は往復とも同船でした。本級の第1船ですが最初に現役を退き、北朝鮮に売却されたと当時の記事で読んだ記憶があります。函館駅
昭和50年8月30日撮影 |
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国鉄としては最後に乗った八甲田丸。末期に登場した貨物船改造の連絡船には乗る機会がありませんでした。函館駅
昭和62年3月22日撮影 |
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乗って来た十和田丸が折り返し青森へ向けて出港する情景を見送りました。独特の音色の汽笛や、出港時のドラの音、蛍の光のメロディーが頭の中で聞こえるようです。函館駅
昭和62年3月22日撮影 |
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八甲田丸のグリーン自由席の様子です。肘掛けに差して使うテーブルが前席背中のネットに入っています。津軽海峡航行中の上り便
昭和62年3月22日撮影 |
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夕暮れに青森到着、連絡通路の窓越しに出港待機中の連絡船を写しました。青森駅
昭和62年3月22日撮影 |
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宇高連絡船は1往復乗っただけで終わりました。列車の時間待ち中に駅横の岸壁で少し写しました。出港のため補助汽船に押されて回頭する土佐丸と脇をすり抜けて出港する急行のホバークラフトです。高松駅
昭和51年8月23日撮影 |
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これも土佐丸ですが、高松に入港してくるところです。宇高の船名は4隻に四国の旧国名4つで判りやすかったですね。高松駅
昭和61年8月撮影 |
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