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昭和51年5月13日撮影(続き)
北九州在住当時は馴染みの薄かった八幡方面にも行ってみました。滅多に走っているのを見掛けなかった100形118系が1000形連接車を従えて走ってくるのを見ることが出来ました。昭和初期独特の流線型デザインが泣かせます。

八幡駅前、尾倉間

これも珍しい2両しかない500形後期車です。張り上げ屋根になっている点が異なります。廃車後は広電に譲渡されたと聞きました。皿倉山の裾野から八幡中央区の繁華街に下る区間です。

尾倉、春の町間

この時の撮影は夜行急行「阿蘇」を黒崎で下車したところから始めました。朝のラッシュ時間帯だけあって三車体連接車が次々とやって来ました。今春まで残っていた折尾、黒崎間の専用軌道から併用軌道に乗り入れる1045号三車体連接車です。

黒崎駅前

100形初期車101系も次々やって来ました。私が最も北九州線らしさを感じる電車です。風格が感じられました。

黒崎駅前、藤田間

同じく101系電車です。最後まで原形に近い姿を保つ車両も珍しいのではないでしょうか。

黒崎駅前、藤田間

同じ地点でとらえた1000形連接車です。後ろ姿を見せるのは1000形の最終グループで、前面デザインが福岡市内線タイプになりました。

黒崎駅前、藤田間

今春まで残った区間の折尾終点の様子です。ビルの二階に乗り場がありました。折り返しの準備をするのは100形101系電車で、夕陽が古豪の車体に映えています。

折尾

筑豊電鉄線を走る1000形初期車です。当時筑豊電鉄は車両を持っておらず、西鉄の乗り入れ車のみで営業していました。後ろの高架線は前年に開業したばかりの山陽新幹線です。

楠橋付近

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