昭和51年12月21日撮影
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九州、山陰旅行の始めに、最初に見ていただいた最初の写真と同じ場所に行ってみました。鹿児島本線と並行する区間で600形ワンマンカーと1000形連接車がすれ違ったところです。私が立っているのは境川の橋の上で小倉北区と戸畑区の境界になっています。
中原、中井口間 |
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ボギー車の全ワンマン化を達成し、次の標準塗装を模索中だったのか、600形の1両だけに施工された試験塗装車を偶然捉えることが出来ました。伊予鉄道松山市内線のような感じです。
中原、中井口間 |
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同じ西鉄の福岡市内線が全廃されたので主力だった500形ワンマンカーが大挙異動して100形ツーマン車を駆逐してしまいました。軽快な福岡タイプは重厚な北九州タイプの中で違和感があり、私はどうにも馴染めませんでした。
工大前 |
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昭和53年7月撮影
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夏休みの九州旅行の最後に北九州線を尋ねました。結局標準塗装はこの色になったようです。でもこの数年後また別の色が採用され、この色の時代は短かったようです。関門海峡越しに下関を望む風光明媚な区間で、関門橋も背景に見えます。100形137系はまだ健在でした。
広石、風師間 |
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山と海に挟まれた狭い道路に軌道が敷かれていて、リズミカルなカーブが続いていました。138系148号が門司に向かいます。
風師、広石間 |
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小倉井筒屋デパートの屋上から門司方面を眺めたところです。昭和30年代は同じ視界に最低10両は電車が見えたのではないでしょうか。車の一方通行が判ります。乗客が乗降中の電停は魚町で、奥の電車の先を左に入ると国鉄小倉駅です。
魚町、室町間 |
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戸畑支線ですれ違う北九州線オリジナル100形と福岡市内線転入組500形です。番号の字体も元のままなので異なります。ちなみに西鉄では線区が違うと同じ番号の電車が存在していました。この時北九州線オリジナルの500形は廃車されていたので問題は生じなかったようです。
幸町、元宮町間 |
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2ページでも見ていただいた幸町電停のその後です。左の電車は300形で少数でしたが福岡からの転入車です。右はお馴染のオリジナル車600形です。
幸町 |